鉄道車両につなぐ夢と責任
―総合車両製作所に勤める工学部卒業生?水野浩平さん
The birthplace of Stainless Steel Railcars in Japan―「日本のステンレス鉄道車両誕生の地」と記された碑。その後ろには、1958年に製造された東京急行電鉄向け「デハ5201」の車体が展示されている。
ここは神奈川県横浜市金沢区にある株式会社総合車両製作所。赤色の車両が走る京浜急行の線路に面した東京ドームおよそ6.5個分の敷地は、道路や踏切もあって、さながらひとつの町のよう。年間約340両もの車両を製造する歴史ある会社で、2030年を見据えたDX(デジタル?トランスフォーメーション)を進めるプロジェクトを担当している1人が、茨城大学工学部?大学院理工学研究科出身の水野浩平さんだ。
「子どもの頃から機械は好きでした。父がカメラ好きで、僕も小学生のときには一眼レフのカメラをいじってましたね」
そんな水野少年が特に好んでカメラに収めたのが、大洗鹿島線の電車が地元?大洗を走る姿だった。大学入学後も写真部に入って撮影に勤しみ、在学中はアニメ「ガールズ&パンツァー」の聖地巡礼で大洗を訪れる観光客向けの案内ボランティアを務めたりもした。
県内のつくばエキスポセンターや日立シビックセンターにもよく連れて行ってもらい、高校生のときには宇宙の乗り物にも興味を持つようになった。将来は宇宙開発の仕事に携わりたいと思い、大学の進路を考えた。宇宙について学ぶなら理学部、ロケットなどの開発をするなら工学部。悩んだ末、小さい頃からの「ものづくり」への興味を追究すべく、工学部を選んだ。2013年、茨城大学工学部機械工学科(当時)に入学する。
1年次は大洗の自宅から天下足球网に通い、日立キャンパスへと移る2年次からはキャンパスの近くで一人暮らしを始めた。ちょうどその頃、学科の増澤 徹教授が「メカトロニクス研究会」という学科内サークルを立ち上げた。電子工作キットを使いながら生産と制御を学ぶサークルで、水野さんも10名ほどの「第一期生」の一人となった。
「楽しかったですよ。機械工学科は各学年で100人近い学生がいたのですが、このサークルに参加した同期の6~7人ぐらいの仲間とはすぐ仲良くなりました。感覚としては研究室に転がっているもので遊んでいた感じでしたが(笑)」
実際に自分たちの手で機械をつくり、動かすのは幸せだった。ある年のこうがく祭(工学部の学園祭)では、線の上をなぞるように移動するライントレーサーと呼ばれるロボットをつくって出品。うまくいかないことも一度となくあったが、目標をもって友人たちと何かを作り出す日々は、今振り返っても充実していた。
4年生になると、鉄道車両に関する工学などを専門とする道辻洋平教授の研究室に入った。水野さんの原風景からすれば当然の選択だったかもしれない。そこで研究のおもしろさに目覚め、大学院まで進むことになる。
学部生のときに取り組んだ研究テーマは、「貨物列車の車体の振動特性と走行安定性の分析」。その頃、国内では貨物列車の脱線事故が立て続けに起こり、道辻研究室でもコンピュータでのシミュレーションや運動方程式を使って車両の構造を分析し、その原因を調べていた。水野さんもその研究に取り組んだ。
「鉄道がテーマということもあり、自分の研究していることが社会に役立っているというのが、目に見えてわかりやすい。それがとても良かったですね」
卒業論文を完成させ、そのまま大学院の理工学研究科博士前期課程に進むと、今度は別のテーマに挑んだ。「傾斜軸EEF台車」という仕組みを路面電車に導入するための機能評価の研究だ。
「通常の車両は、左右の車輪をつなぐ車軸があり、それで両方の車輪が一緒に動きます。それに対してEEF台車は車軸がなく、左右の車輪が独立して回転。さらにはカーブの形に追従して操舵されるものです。日本の鉄道車両では採用されておらず、海外では一時期使われていたのですが、高速走行時に不安定さがあり、使われなくなりました」
しかし近年、LRT(Light Rail Transit)と呼ばれる次世代型路面電車が注目される中で、効率性の高いEEF台車も再び脚光を浴びつつあるという。大学院生だった水野さんはEEF台車を改良した傾斜軸EEF台車の実用性の評価に取り組んだのだ。
研究にあたっては、後輩たちと1/10サイズの模型も製作した。その後、本物の車両製造に関わることになる水野さんにとって、模型とはいえ、人生で初めて作った自走式の車両である。それを地域のお祭りなどでミニSLなどの乗用模型として使われるような、5インチゲージの線路で走らせ、車輪の動きをセンサーで捉えて記録し、分析する。「研究の結果、安定性も備えつつ、LRTのような急カーブでも変わらず安定して走行できることがわかりました」と水野さんは語る。
水野さんたちが研究室で製作した模型車両(左下は台車部分の写真)
?研究と並行して行った就職活動では、大好きな「宇宙」「鉄道」「写真」の3つの分野での仕事を探した。その中で、現在勤めている株式会社総合車両製作所のインターンシップにも参加し、自身の大学での研究と直結している車両の製造という仕事に興味を持った。そして2019年4月、新社会人として横浜の地へと踏み出すこととなる。
入社してすぐに配属されたのは、製造の現場。台車部分の製造を担当する、その名も「台車課」だ。
「新入社員は、大卒者も高卒者も、文系出身者も理系出身者も、全員製造部門に配属されるんです」と水野さん。通勤車両から新幹線まで、多くの車両を造った。模型ではなく、本物の鉄道車両を製造しているのだということには、興奮とともに責任感も湧いてくる。
「この車両がたくさんのお客さんの命を預かることになる、自分のミスが大事故につながりかねないと思うと、やっぱり緊張しましたね」
水野さんと同じ時期に台車課に勤務していたある社員の方は、「私はわからないことがあるといつも水野さんに聞いていたのですが、他の方も何かあると『水野さん、水野さん』という感じで寄ってくるんです。頼りになる先輩です」と、水野さんと人柄と働きぶりを語る。
台車課には2年半勤め、その後、現在の部署へと移った。名刺には「生産本部 生産管理部(2030構想PT)」と書かれている。
「不思議な肩書きですよね。弊社はもともと日本海軍の軍用地を引き継いだ鉄道車両の復旧工場から始まっていて、古い建屋がたくさん残っています。ここに新しい技術、新しいやり方を導入して、新しいものづくりに対応できる『スマートファクトリー』を2030年までに実現しようというビジョンがあるんです」(水野さん)
プロジェクトチームは全部で6人。比較的若いメンバーで構成されているという。歴史ある企業なので、現場は熟練の職人たちの技術に支えられている。その技術をきちんと継承しながら、デジタル技術も駆使した新しい生産方法に切り替えていくのが、水野さんたちのミッションだ。そう、いわゆる「DX(デジタル?トランスフォーメーション)」。
「新しい仕組みの導入は、現場にとってはやはり抵抗があります。実際、ベテランの職人さんが持っている技術の多くは言語化しづらく、簡単にデータ化できるものではありませんし」
「自分の手を動かした経験がDX推進でも不可欠」と水野さん
?それでも一部の技術をデータ化し、自動化を試みるが、実際にはそれだけではうまくいかないことも多い。技術は点ではなくネットワークのように捉える必要があるのだ。水野さんたちは現場の技術者たちと粘り強くコミュニケーションを重ね、デジタル化できる領域と人に任せた方が良い領域とを見極めていく。
「2年半の製造現場での経験は大きかったですね。自分自身が手を動かして、先輩たちに教えてもらいながら、車両が実際にどのように作られているかを身体で学んでいなかったら、今やっている生産現場のDXのプロジェクトなんてとてもできません」
自分の考えを多様な人たちに伝え、理解してもらうという意味では、役に立ったと感じる経験がもうひとつある。大学院時代、スペインでの学会に参加して口頭発表を行ったことだ。
「緊張しましたけど、自分の専門分野のことであれば、英語でもなんとかコミュニケーションして、相手に理解してもらえるという手応えを感じることができました」
鉄道車両とものづくりへの愛と使命感、そして丁寧なコミュニケーションによる確かな前進。
人生における出会いや経験のひとつひとつに誠実に、かつ、精一杯楽しみながら取り組める気質が、職場でも信頼される今の水野さんを作り上げ、ひいてはそれが安全な社会をも支えている。そう言っても全く過言ではない。
(取材?構成:茨城大学広報室)